ウンベルト・エーコの固有名の理論について

エーコの「A THEORY OF SEMIOTICS」を読んでいるのだが、固有名の説明のところが気にかかった。

The problem of proper names is similar to the problem of iconic signs, which are commonly supposed to refer to someone without there being a precise code to establish who this person is (for example,images of people). Above all, we must try to understand what happens in the case of proper names referring to known historical persons. We shall see later that the ther cases are not different structurally. The expression /Napoleon/ denotes a cultural unit which is well defined and which finds a place in a semantic field of historical entities. This field is common to many different cultures (there can be a very great variety of connotations attributed by different cultures to the cultural unit «Napoleon», but its denotations do not change). Thus the sememe «Napoleon» should have several markers including that of being a human person. It is because of this that it is semantically ridiculous to say "if Napoleon is an elephant" (see 2.S.3).

固有名も、文化的な単位を指しているのだよ、例えば「ナポレオン」は「人間で…」といった属性(sememe)を持つ単位を指しているのだよ、という議論。

しかしこれってクリプキによる、ラッセルへの批判が当てはまってしまわないだろうか。ラッセルはまさに、「ナポレオン」を「人間で皇帝で…となる唯一の人」と分析したのだった。

だけど、クリプキは、例えば、「もしナポレオンが生まれなかったら…」といった文章が有意味に感じられる、という点を指摘する。生まれなかった人が人間かどうかは微妙な問題だと思うが、とりあえず皇帝ではありえないと思うので、ラッセルの分析だと、「ナポレオンが生まれない」という文は単に偽になる。よって上の条件文は自明に真になるが、それはこの文の有意味さをうまく表しているだろうか?

同様の指摘がエーコの説明にも当てはまると思う。「ナポレオン」が「皇帝になって、3時間しか眠らなかくて…な人間」という文化的な単位を指しているのだとすると、ナポレオンが生まれなかったらどの性質も成り立たないように思われる。さらに具合の悪いことに、ラッセルの場合は「ナポレオンが生まれなかった」はとりあえず偽になるので、真理値を持つという意味で、ちゃんと意味があると主張できる。しかし、エーコは「もしナポレオンは象であれば…」という仮定は偽ではなくて無意味であると論じている。(この議論もよくわからないのだが…)だとすると、「ナポレオンが生まれなかったら」というのも無意味な仮定にならないだろうか。本当にそれでいいのだろうか。

もしかすると、エーコは属性として、通常の「皇帝である」とか「3時間しか眠らなかった」とかといったものではなく、なにか特殊な属性を考えているのかもしれない。しかし、それはなんだろうか。あったとしてもとても直感的でないものになりそうな気がする。

というわけで、エーコの固有名の分析は安易すぎると思うのだった。